中島義道『人生に生きる価値はない』
中学・高校の頃、親からよく「おまえは変わり者だから困る」と言われていました。就職した頃以降は普通になったと思いますが、確かに昔は、近所付き合い、友達との接し方など、親の立場から見たら変だったのかもしれません。そういう自覚は多少あります。
しかし、「戦う哲学者」中島義道の著作を読むと、昔のわたしは「普通の人」の範囲に余裕で入ってしまいます。日本社会を取り巻く空気や、常識に疑問を持たない人々等を批判する氏の考え方は、何の苦労もなく生きている普通の日本人にとって、かなり強烈なインパクトがあります。本書も例外ではありません。
- 作者: 中島義道
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2011/09/28
- メディア: 文庫
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『人生に生きる価値はない』というかなりネガティブなタイトルではありますが、同氏の本を読むのも4冊目にもなると手の内が分かっていますので、逆に楽しく読めました。
全体を通して読めば、そのタイトルの真意が分かると思いますので、興味ある方にはぜひ読んでいただきたいと思います。
各セクションは個別のテーマで書かれたエッセイになっていますが、「なるほど、そうかもしれない」と思った社会問題に関する話題を二つほど紹介します。
いじめの「本当の」原因
空気や重力のようないじめの「本当の」原因とは何であろうか? それは、わが国の国土をすっぽり覆っている、いや日本人のDNAの中に染み込んでいるとすら思われる「みんな一緒主義」である。あるいは、協調性偏愛主義であり、ジコチュー嫌悪主義であり、形だけ平穏主義と言ってもいい。つまり、日本人のほとんどがそれに絶大な価値を置いていることこそが「日本型いじめ」の真の原因なのだ。(p11)
日本社会の風土がいじめの根本原因だと言われると、もうどうしようもないですね。しかし、それは真実でもあります。別の言い方をすると、いじめは協調性の欠如から生じているのではなく、誰もが無意識に持っている協調性の欠如を非難する態度から生じているわけです。ですから、ちょっとでも集団から外れる形になると、自分の方が悪いのだと思い込んでしまい、もう生きていけないとなってしまいます。これは、完全な幻想であり錯覚だから一人で生きていく道を探せばいい、と著者は言います。とは言っても、社会全体がマインドコントロールされているなか、特に閉鎖的な学校の中で一人で生きていく道を選ぶということは難しいでしょうね。
ひきこもりから抜け出す方法
私は、自分の体験から確信できるが、青年が確実に部屋から出る道はある。ひきこもりが「なおる」薬がある。それは、両親が「普通」からずり落ちてしまうこと、できれば犯罪者になってしまうことである。それも思いっきり破廉恥な、そうだなあ、母親が万引きで捕まり、父親が痴漢で捕まるというように。そうすれば、息子は俄然がんばるに違いない。両親を見直すに違いない。両親が品行方正で善良な市民を続けている限り、彼はそのいかなる言葉も拒否するが、両親が本物のダメ人間であることを知った瞬間に、彼は治るということである。こんな単純な理屈がなぜわからないのであろう。(p41)
こんな解決策、誰も思いつかないし、仮に気付いたとしても実行するはずもないでしょう。しかし、ここには重要な真実が含まれていると思います。また著者は、ひきこもりは両親に対する復讐にほかならないと断言しています。両親がおろおろすればするほどおもしろい、途方にくれればくれるほど喜びがこみ上げてくる。じわじわ相手の心身を滅していく復讐の喜び(本人は無意識でしょうけど)をもって、人間として最も卑怯な輩に転落したのだ、と手厳しい。
もっと大きなレベルでいうと、さしあたり戦争によって殺されることも飢饉によって死ぬこともなく、殺人や傷害など人間の奥底に潜む凶暴性が極小にまで抑えられている現代社会は、生物体にとってはどう考えても「病的」で、この根源的な問題が現代の引きこもりや鬱の問題につながっているのだそうです。人間だけが精神病にかかること、人間だけが自殺することがそれを示しています。
もちろん、一人一人の力ではどうすることもできませんが、本書を読んで、この現代社会が抱える哲学的な問いに出会えてよかったと思います。
(蛇足)
先日のエントリーで紹介した美人哲学者池田晶子さんへの追悼文を書くほど面識があったことに驚きました。
ではまた…