igawa's Blog

おもに読書と本に関するブログですが、Mac/iPhone、数学、音楽の話題など例外の方が多いかもしれません。

「よみうり堂」の書評から選んだ『昔話はなぜ、お爺さんとお婆さんが主役なのか』ほか2冊

今週(読売新聞)は「成毛眞の新読書スタイル」のコーナーもあり、対談相手は『夢をかなえるゾウ』の著者水野敬也でしたが、対談内容がイマイチでした。ですので、いつものように、書評の中から気になる本を取り上げます。

 

大塚ひかり『昔話はなぜ、お爺さんとお婆さんが主役なのか』(評:作家 唯川恵 

昔話はなぜ、お爺さんとお婆さんが主役なのか

昔話はなぜ、お爺さんとお婆さんが主役なのか

タイトルを見ただけで読んでみたくなる一冊。
昔話には道徳や教訓めいたものがありますので、経験豊かなお爺さんとお婆さんが主役になるのは当然ではないかと考えそうですが、評者によると、その予想は本書を開いた瞬間に覆されてしまったそうです。
また、著者は『源氏物語』を全訳するなど古典文学に精通されており、古典を調べるときには大塚さんの著書ははずせないという愛読者も多いとのこと。

昔話の多くは、童話として子供向けにアレンジされているという。特に昭和に入ってからは、残酷性や性的要素が排除されたそうだ。たとえば『かちかち山』は、狸はお婆さんを殺して逃げるだけでなく、「婆汁」にして、爺に食べさせたというのである。『桃太郎』は桃から生まれたのではなく、桃を食べた爺と婆が若返って交わり、男の子を生んだというのである。いやはや驚いてしまった。

 

池田晶子『幸福に死ぬための哲学』(評:批評家 若松英輔 

幸福に死ぬための哲学――池田晶子の言葉

幸福に死ぬための哲学――池田晶子の言葉

池田晶子という名前を見てどこかで聞いたことがあると思ったら、ベストセラー『14歳からの哲学』の著者でした。書評コーナーで紹介されている他の本はすべて書影ですが、この本だけは著者の写真が載っています。美人だからでしょうか。ぜひ読んでみたくなりました。

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語った者が生きていたときよりも、亡くなってからの方がその言葉の意味が一層深く感じられることがある。死は、言葉を完成させる。池田は、この哲学の秘儀を、身をもって知っていた。池田は、哲学者と自称することはなかった。彼女にとって哲学とは、この生を生き抜き、死を経験することによってはじめて始まる出来事だったのである。本書の著者はもうこの世にはいない。

 

又吉直樹『火花』(評:評論家・作家 松山巖 

火花

火花

このブログでも一度紹介した、お笑い芸人ピース又吉のデビュー作です。評者は、本篇について構成に甘さが残ると述べつつ、今後の行く末が気にかかるという微妙な表現で書評を締め括っています。
読んでみたいという気持ちと、読まなくてもいいやという気持ちが、今のところ相半ばしております。

人間は他の動物と異なり、芸術、スポーツ、芸能と予測のつかぬ非合理な営みをわざと行う。まして機械と記号に覆われた合理優先の現代では、アホらしさや猥雑さはかえって求められるのでは。本長編の面白さは正にアホらしさの意義を全面的に押し出したことにある。

 

ではまた…