igawa's Blog

おもに読書と本に関するブログですが、Mac/iPhone、数学、音楽の話題など例外の方が多いかもしれません。

中島義道「私の嫌いな10の言葉」

中島義道は変わり者で有名な哲学者である。

陽が当たってかなり明るいカフェの店内で各テーブルの上の電灯がついていたら「照明は必要ないんじゃないですか?」と店員に詰め寄ったり、「私たちの手でまちを美しく」とか意味のない標語を書いた横断幕があれば役所に文句を言う。

そんな偏屈な著者が、吐気がするほど嫌いだという言葉を10ほど選んで、なぜ嫌いなのか探究したのが本書です。

私の嫌いな10の言葉 (新潮文庫)

私の嫌いな10の言葉 (新潮文庫)

 

 その言葉とは以下の10個。

 1「相手の気持ちを考えろよ!」

 2「ひとりで生きてるんじゃないからな!」

 3「おまえのためを思って言ってるんだぞ!」

 4「もっと素直になれよ!」

 5「一度頭を下げれば済むことじゃないか!」

 6「謝れよ!」

 7「弁解するな!」

 8「胸に手をあててよく考えてみろ!」

 9「みんなが厭な気分になるじゃないか!」

10「自分の好きなことがかならず何かあるはずだ!」

もっともらしいこれらの言葉。確かに私も何となく違和感がありました。でも、なぜかと言われると理由をうまく説明できません。

過激な部分もありますが、基本的には著者の主張に同感です。感じていた違和感の正体をみごとに暴いてくれています。ただ、万人に受け入れられるものでもないかもしれません。

その違和感は、これらの言葉が、いずれも

  • すべての人間の感受性は同一であるという思い込み
  • 自分の立場よりはるかに相手の立場を尊重する文化
  • 相手より人間として絶対的に上位にいるという傲慢

などによって支えられているからです。

嫌いな言葉の2、3、10で少し説明します。

「ひとりで生きてるんじゃないからな!」

この言葉には、感謝を要求するような響きがあります。それも、孤独を好む人に向かって、そんなわがままじゃ生きてはいけないぞと諭すような響きがあります。

著者は、こういう言葉を発する人の鈍感さ、しかも自らをよしとするその傲慢さが嫌いなんです。そして、ひとりでいたい人を断じて許さず、世の中の定型的な感謝のネットワークを受け入れよという暴力であると言います。

「おまえのためを思って言ってるんだぞ!」 

この言葉は、著者がとりわけ虫酸が走るほど嫌いなようです。なぜなら、それは嘘だからであり、自分を守っているからであり、恩を着せているからであり、愛情を注いでいると勘違いしているからであり、つまり徹底的に鈍感でしかも狡いから。全くそのとおり。

本人も気づいていない心の底では、「こんなおまえが目障りで嫌でたまらない」と思っていて、自分のために、おまえにどうにか変わってもらいたい、そうでなければ、自分が不安で不安でしかたないという状態。なるほど。

「自分の好きなことがかならず何かあるはずだ!」

引用します。

いかにも地味な感じのする少女がファッションモデルになりたいと思い切って告白すると、「ほんとうにそれがきみのしたいことなのかなあ?ただ、華やかな世界に憧れているだけじゃないのかい。ようく考えてごらん」と突き返す。だが、その少女が二、三日後に「先生、私やっぱり子どもが好きだから保母さんになりたい」と言うと、今度は「そうか!」と顔を輝かせて話に乗る。

つまり、当人がほんとうに好きかどうかはこちらが決めてやる、という狡い態度がそこにある。 

まとめ

これまでに、いくつかの言葉は自分も言ったことがあるはずです。自分が感じるのと同じように、言われた相手も違和感があったでしょう。これらの言葉は相手の行動を縛ってしまう狡いやり方であることに気がつきました。気をつけたい。

著者の本を読むのは3冊目(あと2つは下記)なのですが、いずれもマイノリティの視点から書かれています。おかげで、社会的弱者や少数派の立場に自分を置くことができるようになりました。マジョリティの世界でしか考えたことのなかった私が、ものの考え方に幅が出てきたことを実感します。

 

カイン―自分の「弱さ」に悩むきみへ (新潮文庫)

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「対話」のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの (PHP新書)

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