金谷武洋『日本語に主語はいらない』(その1)
昨年、『日本語に主語はいらない』(金谷武洋著)という本についてのエントリーを書きました。
なかなか刺激的な話なので、本の内容をまとめるためにも、章ごとにブログに書いていこうと考えていましたが、さぼっているうちに、序章部分(その0)を書いてから既に5か月以上も過ぎてしまいました。しかし焦らずに、時間がある時ぼちぼち書いていきたいと思います。
「日本語に主語はいらない」という日本語文法の根幹を揺るがす本書の主張は、日本語教育の世界に受け入れられていないものの、正しいことを言っているような気がしますので(しかも国レベルで軌道修正できなくなっていて)、読んでいて非常に面白い内容です。
- 序章 モントリオールの日本語教室から
- 第1章 日本語に人称代名詞という品詞はいらない
- 第2章 日本語に主語という概念はいらない
- 第3章 助詞「は」をめぐる誤解
- 第4章 生成文法からみた主語論
- 第5章 日本語の自動詞/他動詞をめぐる誤解
- 終章 モントリオールから訴える
今回は、第1章「日本語に人称代名詞という品詞はいらない」についての要約です。
第1章での主張はこうです。
【誤り】日本語にも、英仏語と同様に、品詞としての人称代名詞がある。
【事実】英仏語では、名詞と人称代名詞には構文的に異なった働きがある。日本語にはその違いがない。つまり「わたし・あなた・かれ」などはすべて、文法的には単なる名詞であって、これらを人称代名詞と呼んで別の品詞を立てる必然性は全くない。
英語の「 I 」は、日本語の「私」に当たるとされていますが、文中の使われ方は同じなのでしょうか?
英語と日本語の人称代名詞について、3つの違いを挙げます。
- 違い(1)名詞修飾
日本語の「私」は、「いつもドジを踏むバカな私」というふうに、一般名詞の「机」などと同様に修飾することが可能です。ところが、英語の「 Ⅰ 」では、そのようにいきません。例えば「美しい日本の私」という川端康成のノーベル文学賞受賞記念講演タイトルの「私」は、そのまま「 I 」では訳せず「Japan, the Beautiful, and Myself」となったそうです。 - 違い(2)文法上の区分
私・あなた・彼など、人を指す名詞を特別に「人称代名詞」と読んでもいいのではないかという意見はあると思います。しかし、それはあくまでも意味上の区分であって、文法的な区分ではありません。もし文法的な人称代名詞なら、子供に対して言う「ママがしてあげる」の「ママ」も(単なる名詞なのに)人称代名詞の仲間になってしまいます。 - 違い(3)代名詞への置換え
「Ken gave Emi a book」は「Ken gave her a book」に置き換えられますが、「Ken gave Emi it」とか「Ken gave her it」にはできません。「Ken gave it to Emi」など語順の変更が必要です。ところが日本語なら、「ケンはエミに本をあげた」は「ケンはエミにそれをあげた」でも「ケンは彼女にそれをあげた」でも全く語順に影響ありません。このように、英語と日本語とでは(人称)代名詞の文法上の働きが明らかに異なります。
以上のように、英語では名詞と人称代名詞が文法的に大きく違っていますが、日本語では同様な事実は見られません。つまり、日本語で人称代名詞と呼ばれているものは構文的には単なる名詞にすぎないのです。
ではなぜ、英語では代名詞・人称代名詞が発達したのでしょうか?
それは、昔習った「基本構文」、つまり英語の基本五文型(SV, SVC, SVO, SVOO, SVOC)の影響だそうです。
この構文に沿ってないと文にならない(主語や他動詞の目的語が必ず必要)ので、同じ言葉を繰り返す煩わしさを軽減するための手段として、「he」や「it」などの代名詞が発達したと言われています。
ところで、「日本語の基本構文」はどうなんでしょう。英語の五文型のようなものは習ってない(存在しない)ような気がします。著者は、次の3つが日本語の基本構文(それだけで自立している文)だと言っています。
- 名詞文:赤ん坊だ
- 形容詞文:愛らしい
- 動詞文:泣いた
この基本構文の正統性はここではさておき、本書のメインとなる次の第2章に大きく関わってきます。次回が面白いと思います。
ではまた…
(毎週日曜日は、新聞の書評記事から気になる本を紹介していましたが、該当する本がありませんでしたので本日はお休みです。 )
- 作者: 金谷武洋
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2002/01/10
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 購入: 4人 クリック: 209回
- この商品を含むブログ (49件) を見る