武家と商人の双子都市 福岡と博多
今日の読売新聞(福岡版?)に「福岡と博多」という地名に関する記事がありました。
30年ぐらい住んでいますが、知らないことも多かったので、メモとして残しておきます。(記事の一部を引用)
官兵衛と長男・黒田長政の親子は関ヶ原の戦い(1600年)の論功行賞で、筑前国を与えられた。入国後、官兵衛と長政は那珂川を挟んだ博多の西側、現在の福岡市中央区にあたる警固村福崎に福岡城を築いた。
官兵衛は当初、博多も含めた城下町づくりを望んだが、長政は古くから歴史のある博多の地を残す選択をしたという。「福岡の繁栄は博多商人の活躍にかかっている。だから博多には武士を住まわせなかった」(福岡城市民の会事務局長)ことで、福岡は城下町、博多は商人街としてそれぞれに発展を遂げ、「双子都市」と呼ばれるようになった。
福岡市の人口は2013年150万人を突破した。博多区では九州一の歓楽街・中洲のネオンと屋台が夜を彩る。
参考までに Wikipediaで「福岡市」をみていたら、面白い説明を発見しました。
歓楽街として有名な中洲は、博多と福岡の境界である那珂川の中州に江戸期に発達した。どちらにも属しているようで、どちらにも属さないという曖昧性が「悪所」としての歓楽街の発展に有利であったと考えられる。
なるほど、中途半端な位置にある曖昧性が中洲の発展に寄与していたとは!(まあ仮説でしょうけどね)