国語と数学は、言葉と論理という意味で大事
仕事でも日常生活でも、コミュニケーションに必要な道具というか最低限の基礎力は、「言葉」と「論理」ではないかと最近気づきました。
思っていることを上手く言語化するには「日本語」が正しく使えないといけませんし、相手に理解してもらうには納得出来る「ロジック」が必要です。
「言葉」と「論理」は、学校の科目でいうと「国語」と「数学」です。
ということで今日は、学校で習う国語と数学についてふと思ったことを少しだけ。
国語について
中学・高校時代、国語は全般的に苦手で、特に小説の登場人物の気持ちの読み取りや作文が不得意でした。
いま思うには、小説や古文・漢文は付け足しでいいですから、現代文・論説文の読み取りや、一切教わることのなかった作文の書き方を充実してほしいと思います。
数学について
ここでいう数学は、小学校の算数つまり計算ではありません。簡単な計算ができる必要はありますから、小学校の算数は当然必要です。
大事なのは、数学を通じて学ぶ論理的に考える力だと思います。簡単に言うと、場合分けをきちんとしたり、あることを否定した文を正しく作れるといったようなことです。これが意外とできてない場合が多い気がします。
少しそれますが、日常生活でのリスクリテラシーのために確率・統計はもっと充実させた方がいいと思います。
おわりに
もちろん、社会や理科など他の教科が不要と言ってるわけではありません。社会と理科は別の言葉で言うと、人文科学と自然科学ですから、あらゆる学問を包含していて、その基礎をなしているのが言葉と論理なのではないかということです。
将来の役に立つことだけが学校の勉強ではありませんが、もう少し重点をシフトしてもいいのではないかと思います。
ではまた…