小室直樹「数学を使わない数学の講義」
先日のエントリーで紹介した「日本人のための憲法原論」の著者である小室直樹先生の「数学を使わない数学の講義」を再読しました。
最近いろんな本を再読しているのですが、ある程度本の全体像を分かっているので、重要でない80%の部分を軽く読み飛ばすことができ、一冊を圧倒的に早く読んでしまえるようになっていることを感じます。(再読に限りますが)
本書の特長
本書はタイトルに「数学の講義」と銘打っていますが、数学の本質である集合論や必要・十分条件などの概念を理解することを通じて、政治、経済、宗教などに対して論理的に考えることを学ぶための本です。また、ある意味 かたちを変えた日本人論であるとも感じます。ときどき品がない話が登場しますが、的を射た例示なので、堅い話にならず楽しめます。
論理的発想の基本-存在問題
中学一年の数学から方程式が登場しますけど、方程式には必ず解があると思っている人が多いのではないでしょうか。一般的には、方程式と名のつくものの大半は解がなく、実は中学・高校の教科書には解のある方程式だけを選んで載せてあるに過ぎないのです。
一寸先は闇であり、解答が用意されていないのが普通なのである。だから、教科書に載っている方程式の問題などというのは、いわば口説けば必ずなびく商売女を並べた昔の遊郭のようなものである。(中略)教科書にある解ける方程式にだけ慣れすぎたのでは、解けない方程式に出会ったとき、右往左往するばかりで、どう対処してよいのかわからなくなる(p43)
方程式だけではなく、世の中のいろんな問題は、そもそも「解けるのか、解けないのか」は明らかではありません。(「存在問題」というらしいです)
ですので、数学では、まず解があるかどうかを調べることが大事で、解の存在が保証されて初めて安心して解を求める努力ができることになります。
少し極端な例ではありますが、宇宙開発でアメリカが月面に到達できたのも、マゼランが大西洋から太平洋に渡る海峡を発見できたのも、存在問題が解決されていたからであり、さまざまな分野の科学が進歩してきたのは存在問題という考え方が大きく貢献しているようです。
数学の本質-集合論
現代においては、数学とはほぼイコール集合学であり、集合学は論理学とほぼ同じものです。集合の基本は、何かの集合に属しているのか属していないのかが明確であるということです。「身長の高い人の集合」というものはありえません。当たり前のようにも思えますが、昔から日本ではあいまいであることが美徳とされている部分があり、小室先生も「日本社会には論理が欠落しているのは動かしがたい事実」だと指摘されています。
例えば、「日本にはそもそも契約という考え方はない」「日本人は無規範民族である」と言うと「日本でも契約書を交わしているではないか」「日本人ほど規則を守っている国民はいないのではないか」といった反論がありそうですが、
- どうにでも解釈できる契約書は、契約とは言わない
- 規範社会(実際に守るかどうかは別の話)と、そもそも規範がない日本は違う
という話です。
もちろん、どちらが優れているとか、どちらが生活しやすいとか、そういう話ではありません。
このように数学(論理)的思考力についての日本人の特性を通じて、日本人はなぜ外交音痴なのか、なぜ日本人の買春ツアーばかりが嫌われるのかなど、集合と論理の切り口からさまざまな日本社会のマイナス面を知ることができて、なるほど!とスッキリしました。
いろんな社会問題において、「世論や空気は確かにそうだけど、何かおかしい」という感覚があるかと思いますが、その根本的な原因はこの辺にありそうです。
最後に
経済学・法学の世界で有名な小室先生が、このような数学の本を書くことができるのは、京都大学理学部数学科を卒業されているからですが、数学で鍛えられた論理的思考技術があるからこそ、経済学・法学をはじめとする社会科学の分野での日本人の非論理性の指摘が的確で切れ味鋭いです。
感情論やロジカルでない主張をする人に翻弄されることなく、世の中のものごとを正しく認識するためには、本書に書かれている数学的考え方(論理)が必須でしょう。
残念ながら多くの人に毛嫌いされている数学は、本当は社会生活に必須のスキルなので、こういった数式を使わない(社会との関わりの切り口で書かれた)数学の本は貴重だと思います。
先日紹介した「憲法原論」
今度再読したら紹介したい「宗教原論」
これも分かりやすいです(絶版かも)
経済学のエッセンス―日本経済破局の論理 (講談社プラスアルファ文庫)
- 作者: 小室直樹
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2004/01
- メディア: 文庫
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