小室直樹「日本人のための憲法原論」
憲法記念日を前に、小室直樹「日本人のための憲法原論」を読みました。
著者は「まえがき」の冒頭で、「現在の日本の問題は、憲法がまともに機能していない」と言い切っています。
現在の日本には、さまざまな問題があふれかえっています。
10年来の不況、財政破綻、陰惨な少年犯罪、学級崩壊、自国民を拉致されても取り返さない政府・・・実はこうした問題の原因をたどっていくと、すべては憲法に行き着くのです。
現在日本が一種の機能不全に陥って、何もかもうまく行かなくなっているのは、つまり憲法がまともに作動していないからなのです。
こんなことを言うと、みなさんはびっくりするかもしれませんが、今の日本はすでに民主主義国家ではなくなっています。いや、それどころか近代国家ですらないと言ってもいいほどです。
憲法という市民社会の柱が失われたために、政治も経済も教育も、そしてモラルまでが総崩れになっている。これが現在の日本なのです。
(「まえがき」より)
では、なぜ日本の憲法はちゃんと作動しなくなったのでしょうか。その理由は、憲法学そのものにあると著者は言います。「憲法を語る」ということは、憲法の条文解釈などではなく、人類の歴史を語ることに他なりません。憲法の条文には長年にわたる成功と失敗の経緯が刻み込まれていて、その長い物語を解き明かすのが憲法学ですから、憲法学とは本来とてもエキサイティングなものです。
本書は、著者がその「憲法の物語」の一端を披露し、憲法のおもしろさ、大切さを伝えるため、講義形式で語られていきます。
法律の本ですが、西洋史の話が多く、またキリスト教や旧約聖書に関する講義もあります。憲法も民主主義も、日本国憲法全文にあるような「人類普遍の原理」などではなく、近代欧米社会というと特殊な環境があって、はじめて誕生したものですから、憲法を知るには、欧米社会の歴史とその根本にあるキリスト教の理解が不可欠です。
理系出身の私としても、憲法というテーマを通じて歴史・宗教・政治・経済など社会科学の知識を横断的に勉強できたことは大きな収穫でした。
約500ページにわたる本書ですが、最も衝撃を受けたのは、第2章「誰のために憲法はある」です。この章(約20ページ)だけでも読んだ価値があったと思います。
さて、憲法とは誰のために書かれた法律なのでしょうか? 少々長いですが、2か所を引用します。
憲法とは国民に向けて書かれたものではない。誰のために書かれたものかといえば、国家権力すべてを縛るために書かれたものです。司法、行政、立法・・・これらの権力に対する命令が、憲法に書かれている。
国家権力というのは、恐ろしい力を持っている。警察だって軍隊だって動かすことができる。そんな怪物のようなものを縛るための、最強の鎖が憲法というわけです。
国家権力が自由に動き出したら、それをくい止める手だてはありません。
何しろ近代国家には軍隊や警察という暴力装置がある。また人民の手から財産を丸ごと奪うこともできる。さらに国家の命令一つで、人民は徴兵され、命を戦場に投げ出さなければならない。こんな怪物を野放しにしていたのでは、夜もおちおち寝ていることはできないでしょう。
だからこそ、近代西洋文明は持てるかぎりの知恵を振り絞って、この怪物を取り押さえようとした。(中略)そこで法律や制度でぐるぐる巻きにしたうえに、さらに太い鎖をかけることにした。それが憲法というわけです。
憲法に対する印象が180度変わりました。
それ以外にも、なるほどそうだったのか!という箇所がいくつもあり、非常にエキサイティングな読書でした。
以前読んだ小室先生の以下の著作も再読したいと思います。