「島原の乱」と天草
年度末の週末は、用があって島原の実家に帰省しました。
島原といって思い出す言葉は、「島原城」とか「島原そうめん」よりも、「島原の乱」ではないでしょうか。
1637年に起こった「島原の乱」については、歴史を詳しく知らない人でも、キリシタン弾圧による一揆、指導者は天草四郎ぐらいのことはご存知かと思います。別名「島原・天草の乱」と言われていて、天草側でも激しい戦いが起こっています。
だからというわけではありませんが、今回の帰省の帰り道は、フェリーで熊本県側に渡って天草経由で福岡に戻りましたので、島原の乱関係の場所に寄ってみました。
祇園橋
島原の乱の中でも激戦となった天草市の町山口川に架かる石橋です。石造桁橋としては日本最大級であるとのことで、国の重要文化財に指定されています。橋のそばの案内板にはこう書いてありました。
この付近は、寛永14年(1637年)11月、天草・島原の乱で、天草四郎率いる一揆勢と、富岡城番代三宅藤兵衛の唐津軍とが激突した場所です。両軍の戦死者により川の流れは血に染まり、屍は山を築いたと伝えられています。
天草四郎メモリアルホール
有料(大人600円)だったのと時間もなかったので、写真を撮ってスルーしました。
日本一の天草四郎像
高さ15mの日本一大きな天草四郎像らしいのですが、島原・天草地区以外にはない(たぶん)でしょうから、日本一だと主張する理由が不明です。「藍のあまくさ村」という地元の特産品や海産物などを扱っている物産店に併設されています。
(参考)南島原市原城跡にある天草四郎像
こちらの天草四郎の方が、それらしき雰囲気が出ている気がします。
(おまけ)天草五橋
五号橋わきの「福伸」で食べた海鮮丼
五号橋
四号橋
三号橋
二号橋
一号橋(新しい橋の工事中?)
最後に
実はお恥ずかしながら、「島原の乱」については、私が知っている知識も冒頭に書いた以上のことをよく知りません。ですので、もう少し勉強しようかと思って買ってみました。本としておススメなら、ブログでも紹介しようかと思います。